森爺、またやってしまったようですね。
SNSでは大騒ぎです。
YOUTUBで配信している若い女性24人のディスカッションを拝聴しました。
皆さん全員が息苦しい世の中だと訴えてますね。
女性が差別に苦しんでいることを改めて認識しまたが、
ただ、発言中で、
「...わきまえてしまった自分がいて...」とか
「わきまえ癖」という言葉が頻繁に出てきます。
「わきまえてしまった自分」?
「わきまえ癖」とは、何?
聴いていて違和感を感じました。
今まで私たちは
〇場所柄をわきまえず
〇礼儀を 〃
〇公私の別を 〃
と言った使い方をしてきました。
言葉づらをそのまま解釈すれば、「わきまえてしまった自分」なら、場所柄も公私も礼儀もわきまえているのだから立派な社会人じゃないですかと言いたくなります。
素直に「不本意ながら妥協してしまった自分」ならまだ理解できるのですが...
あなたはどう思いますか。
さて、今回の森爺の発言は確かに問題だらけだと私も思います。83歳だからしょうが無いでは許せる話ではありません。森爺は5歳先輩ですが、一緒にしてほしくない心境です。
先日、村長発の勉強会でSDGsを学びました。
国連が「持続可能な開発目標」として17の目標と169のターゲットを定めました。
その中の5番目に「ジェンダー平等を実現しよう」があります。
実は、かつて新宿で飲み歩いていたとき、Gの男に抱きつかれ、いやな思いをしたことがあってからGについては理解できずにきてしまいました。
しかし、連れ合いとたまに話す時に、性の不一致はあるのだと思うようになり、ジェンダーへの理解を深めているところです。
さて、彼女たちの訴え方に戻ります。
どうしも気になるフレーズがあります。それは...
「〇〇だと思っていてー」と最後に「ていてー」で次のフレーズに繋げるのはどうも耳障りです。日本語はディベートには向かないと言う説もありますが、各年代が揃った会議などでは、わきまえた発言、喋り方に心がけることも大切ではないかと思うのですが、如何でしょうか。
また、こんな考え方こそが老害だと決めつけられるとしたら、世代間の擦れは埋まりそうもありませんね。
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